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「宗徳寺の歴史」

 

 

明治三十七年発行の金澤明覧を見ると、「(室町時代の)応永二十一年、加賀能美郡粟津庄・若松城主家臣時国新宮、粟津庄ニ創建、玉窓良珍ヲ開祖トナス。文禄十二年、小幡九平、其父菩提ノ為ニ現地ニ再建シ六月移ル」「直末十二ヵ寺、孫曾孫を合スレバ九百三十二ヵ寺ヲ有ス。中林文英(曹洞宗大学校出身)現住タリ」と伝えている。尚宗徳寺は、当初龍谷寺(龍国寺とも)として開山され、後に宗徳寺と改められている。(※応永二十一年は一四一四年、文録十二年は安土桃山時代の一六〇三年、現地とは金沢市のこと)。

 

宗徳寺は、特に開山玉窓良珍とその門下が全国各地に教線を広げ、総持寺輪番地(交代で大本山総持寺の住持となる特定寺院。現在は制度廃止)を勤めるなど大いに栄え、曹洞宗屈指の寺院となったが、やはり時代の趨勢と共にその後次第にさびれ、そのため明治四十五年、時の耕春院住職棟方唯一は中林文英住職と協議の上、宗徳寺を弘前に移転せしめ、宗徳寺の直末寺・耕春院と合併して耕春山宗徳寺とした(合併時の住職を中林文英とする)。

 

本寺は福井市禅林寺(総持寺直末。開山は玉窓良珍の師・普済善救禅師)。

宗徳寺末寺は、耕春院(現宗徳寺)のほか、柏崎・香積寺(宗徳寺二世の開山。末寺に名久井・法光寺、盛岡・報恩寺他)、津・四天王寺(玉窓良珍弟子の曹洞宗改宗開山。三重県を中心に末寺約二十五ケ寺)、弘前・長勝寺(末寺に青森常光寺等津軽地方多数)、常源寺、花輪・長年寺、九戸・長興寺、遠野・大慈寺(八戸・対泉院等の本寺)、岐阜高山・素玄寺(末寺岐阜県中心に約十五ケ寺)、佐渡・江西院など、何れも各地を代表する名刹が多い。

 

尚、宗徳寺の現末寺は、右の末寺のほか、旧耕春院の末寺として弘前・藤先寺、安盛寺、正伝寺、永泉寺、川龍院、盛雲院、万蔵寺、照源寺、嶺松院、鳳松院、鯵ヶ沢・高沢寺、大沢・宝沢寺等がある。